メンテナンス可能なバルコニー!
2020年 10月 02日
社会に出て間もないころ、必死にもがきながら設計した一軒の住宅がある。
設計に2年、工事に1年の時間を費やした、工務店としては異例の仕事であった。
地元の工業高校を卒業してから、連日深夜まで働く環境の中で、この仕事は私にとって
遣り甲斐があるとともに、高い壁に押しつぶされそうになった記憶が今でも残っている。
与えられた敷地は、浜松市内の文教地区で静かな環境ではあるものの、道路から背丈以上の
高低差があり、しかも多角形ゆえ素直な形状で建てられそうな平地は限られていた。
それでも敷地の広さに余裕はあったので、変形プランであれば纏められると思ったのだが、
最後まで苦しめられたのが駐車スぺースの確保である。
隣家のように土地を大きく削って、道路とほぼ平らに造成すれば複数台の駐車は可能だが、
その分家を建てるスペースが小さくなってしまう。
思案した挙句、コスト増にはなるが、コンクリート製ガレージの上に家を載せることにした。
道路の向かい側には、家族が楽しめる小さな公園がある。
町の人々が集う場であることを意識して、優しい表情に見えるよう屋根をむくらせてみた。
長い年月に耐え、将来でも手に入るであろう銅板屋根と漆喰塗り外壁の選択は、いつの時代
でも変わらない安心感へと繋がることであろう。
ガレージ脇の屋外階段を上がった先に、下屋(1階の屋根)を差し掛けた玄関がある。
床は、内外とも信州から松の木煉瓦を埋め込んだことで、足底の感触が何とも心地いい。
室内の壁は白色の漆喰塗りで、濃茶色の木部とのコントラストもあってか、色褪せない。
読書好きの夫婦が楽しめる場になるようにと考えたのは、階段踊り場の書棚であった。
結果は階段の途中に設けたことで、子供たちが本に興味を示すようになったことである。
子供は親の背中を見て育つと言われるが、親が読む本を見て育つ子供もいることを教えられた。
37年を経過した今でも、無垢の杉板フローリングと漆喰塗りは現役で、輝きを増している。
家族や友人・知人が集う場は、多人数でも対応が出来る畳敷きの広間とした。
縁無しの畳は床一面が藺草の絨毯のように美しく見えるが、角の消耗が激しいため表替えは
縁付きの畳よりも頻繁にしなければならないことを知ったのは、この仕事を通してである。
古民家を思わせる太い木組みと白い壁、無垢の板と紙貼り障子を用いた理由は、建主の強い
要望であった「陶芸家:河井寛次郎の精神を家に注入せよ」からきている。
成人式を終えたばかりの若造に、この仕事を任せてくれたご夫妻には感謝しかない。
前置きが長くなったので、本題に入ろう。
この写真は、竣工当時に撮影した東側の外観である。
手前の道路からさらに一段下がったところに、女学生が歩く遊歩道があるため、そこから
見上げたときに少しでも心が和むようにと思い、デザインしたことを思い出した。
「緩勾配のむくり屋根が漆喰塗りの家を覆い、伝統的な民家に見えるように仕上げたいと」
ただひとつ気掛かりだったのは、2階に設けたバルコニーの処理であった。
なぜなら、古民家には西洋から渡ってきたバルコニーなど存在しないからである。
それに加え、当時の防水技術は確かなものでは無いと感じていたので、それなら将来に
わたってメンテナンスが出来る木製のバルコニーを提案しようと考えた。
長い間、耐え抜いてきた木組みのバルコニーが悲鳴を上げたのは、一昨年であった。
木のスノコだけでなく、柱や梁に虫食いの跡が見られたのである。
例えばこんな時、普通の造り方をしていたら、バルコニーだけを撤去することは難しく、
家の一部も壊してから復旧する大工事が伴う。
私は、現場を見てから、当時の図面を広げてみて安堵した。
これなら、大工事をしなくてもバルコニーだけ交換が可能だ。
長い年月を経たおかげで、どの部分を注意して設計した方が良いのかがよく分かった。
最終の塗装前の状態の写真ではあるが、家全体のデザインを壊すことなく、バルコニーは
無事によみがえったのである。
古びた言葉ではあるが、木と土と紙でつくる家はメンテナンスさえしっかりしていけば、
朽ちることなく長持ちすることが立証することが出来たように思う。
そのためには、予めメンテナンス出来るように設計を行い、正しく施工されていることが
必須ではあるのだが・・・。
この家の詳細をお知りになりたい方は、「まちの語り部になる家」をご覧ください。
by mura-toku
| 2020-10-02 16:48
| 建築