山口蓬春記念館を訪ねる
2018年 11月 22日
小雨降る肌寒い天候の中、念願の山口蓬春記念館(旧山口蓬春邸)を訪ねました。
その理由は、日本画家・山口蓬春の仕事場を見てみたいということではなく、建築家・吉田
五十八の設計による数寄屋建築の仕事を、体感したいと思い続けていたからです。
といっても、これまでに吉田五十八の自邸(湘南・二宮)をはじめ、猪俣邸(東京・成城)や
北村邸(京都)等の住宅、リーガロイヤルホテル(大阪・中之島)や大和文華館(奈良)等の
施設建築に足を運んできたわけですが、なぜか旧山口蓬春邸だけは特別な想いがありました。
それは、先に紹介した自邸や北村邸を見学した際に思ったことなのですが、更地に建てる新築
ではなく、既存の住宅に増改築等を施した時の方が、空地面積や予算等の制約により難易度が
上がり、それによって生まれる設計の密度の高さを感じ得たからです。
山口氏がライカのカメラ一式を売却して購入した住宅(当時はある会社の保養施設)は、戦後
間もない1948年(昭和23年)のことでした。
そこには画室が無かったため、山口氏はしばらく2階の座敷で制作に励んでいたようです。
そんな山口氏を旧友である吉田氏は設計でサポートしようと、その住宅を購入した時から構想
していたアイデアを練りながら、丹念に図面に仕上げていきました。
こうして1953年(昭和28年)の年末に、珠玉の画室・書庫が誕生しました。
その増築した画室と書庫を庭から眺めたところです。
線の細い吉田流の数寄屋デザインが、手摺や窓の桟に見られます。
ちなみに今回は、私が所属している(公社)日本建築家協会主催の建築ウォッチングに参加して
実現したわけですが、今から8年ほど前に訪れた東山旧岸邸(静岡・御殿場)も同企画に参加し、
吉田氏の設計に食い入るように見ていたのを思い出しました。
気持ちが昂るのを抑えきれないほど興奮した状態で、憧れの画室に入りました。
中央右寄りに開いているところが、廊下から入る画室の入口です。
正面に設えられているソファの後ろは、全開出来る大きな硝子戸越しに北庭が広がっていました。
そのソファに座って、正面に見える景色に圧倒されました。
床から天井までが完全に外界と一体になっていて、まるで日本画のようです。
内と外を巧みに繋げる日本建築の醍醐味を堪能し、しばらく震えが止まりませんでした。
当然のことながら、その開口には建具が仕込まれていて、その全てが壁に引き込まれていました。
正面の開口に硝子戸が閉められました。
よく見ないと分かりませんが、正面には3枚の大きな硝子戸が自立しています。
その建具の細い横桟が2本あるのですが、下の桟は屋外の最上段手摺と高さを揃えていました。
些細なことかもしれませんが、少しでも余分な線は消したいと願う建築家の拘りが見られます。
左手の白い壁は全面収納になっていて、絵の仕事に必要なものが仕舞われていました。
おや?と思われるかもしれませんが、画室と南側の縁との間に障子が仕込まれていました。
しかもこの障子、床から天井までの建具なのに、上の部分だけ欄間のように開閉できる仕掛けが
あり、1枚の中で引違いすることで最大半分の大きさまで自然光を取り込むことが出来るのです。
つまり、ここで絵を描く際に、光のコントロールをするためのディテールだったわけです。
画室のコーナーから全景を眺めてみました。
資料によると、床は本桜の寄木張り、壁と天井は聚楽塗、枠材や建具材は赤杉の仕上です。
最上級の材を知り尽くした上で、匠の技術により見事な空間に仕上げています。
天井に埋め込まれた照明は製作によるもので、シェードの桟は金属製で細く見せていました。
縁の南に建て込んである木製建具(硝子戸)です。
赤杉の糸柾(国産材の中では最上級)なので、木目が詰んでいて縦の線が真っ直ぐ伸びています。
だから、狂いが無くて華奢な建具が出来るのかと、少し羨ましく思えた瞬間でした。
この建具、縦の框も細いけど、横はもっと細く、しかも断面が五角形で先端がとがっていました。
横の線は消したいという拘りがここにも見られ、何だか当時の様子を垣間見たように感じました。
この華奢な建具を見て、以前宿泊した京都ウェスティンホテルにある佳水園(設計:村野藤吾)
を思い出し、当時の建築家と職人が火花を散らしながら仕事に集中していただろうと感じさせる
熱気を想像させました。
そして、建築家のデザインを引き出すためには、良材が必要だということを改めて感じたのでした。
by mura-toku
| 2018-11-22 18:23
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