家のプロポーション!
2011年 10月 28日
いつの時からなのか定かではないが、日本の家は上に伸びていってしまった。
私が社会生活を始めたころ、即ち1970年代後半に建てられた家の大半が、
部屋の天井は2.4mであったのが、今は2.7mにまで天井が高くなってしまった。
この30数年の間に、日本人の平均身長が30cmも伸びたということなのか?
そんなことは、あるわけがない!
「天井の高い家に育つ子は頭が良くなる」 とか、「天井は低いより高いほうが
部屋が広くなる」 といったコマーシャルにより、そう思い込んでいるに過ぎないのだ。
大は小を兼ねるという理論が、家の造り方にまで及んできてしまっては、たまった
ものではない。
家は、少しでも広く、そして高ければ、それでいいのだろうか?
我々建築家は、ウィキペディアによると 『自らの美学的見地・論理的分析にもとづいて
建築物を設計し、実現に必要な知識や折衝能力・監督能力を有する人のことである』
とされ、さらに、『計画・意匠面の考案者・著作者であるとともに、実現の上での技術的
側面を統括・指揮する責任者』 と書かれている。
建築は、最初に美を追求しなければならなかったはずなのに、造り手側の理屈が優先
されてしまったことと、住まい手側の要望に迎合したことにより、昨今の多くの住宅は
目を覆いたくなる状況である。

これは、先代たちが知恵を振り絞って建てた普通の民家である。
なんともプロポーションの素晴らしい、簡素な表情を持った家なのだろう。

正面にまわって見た瞬間、息を呑む美しさに思わず引き込まれた。
たて・よこ・たかさの関係が絶妙で、私にとっては完璧に近い姿である。
これほどの感性を持ち合わせていた日本人なのだから、できればもっともっと古い
民家を訪ね歩き、肌で感じ、そして考えてほしいものだと、思う次第である。

一見して、平屋建てかと見間違うほどのこの家は、遠江・奏庵(自邸)である。
私がプロポーションに拘る理由は、他でもない。
家は慎ましく、ひっそりと佇むもので、決して誇ってはいけない。
日本の気候風土を考えた屋根のかたち、その表情は優しく、威圧してはいけない。

いい意味で、まちのランドマークになるのもいい。
まちのなかで、子供たちに語り継がれるような存在になれば、本望である。
建築家はあまり自己主張をせず、建築を社会資産のひとつであるという認識をもって、
日々の仕事に取り組むべきなのではないだろうか。
by mura-toku
| 2011-10-28 18:41
| 建築

